「人間の生きざま」には勝ちも負けもない

私の好きな直木賞作家、葉室鱗の言葉に、「私は歴史の敗者を描きたい。彼らの存在に意味はなかったのか、と」、がある。江戸時代の武士の矜持や市井の民の人情を描いた藤沢周平も同じようなことを言っていた。生きた結果としての失敗、挫折は人生には付き物だ。その時点時点での勝ち負けはあるだろう。その度に人は歓喜したり、悲嘆にくれる。特に、挫折の場合はもう先がないと人生に絶望すらする。
しかし、挫折や失敗にも意味があると考えると、もっと深く、生じた結果を見つめ直すのではなかろうか。また、勝利したとしてもその意味を考えることはさらなる高みを目指す上で必要なプロセスになる。よく、失敗の中にプラスの要素があり、成功の中にマイナスの要素が隠れていると言われる。失敗を深く見つめ直すとそこに将来に対するヒントや「気付き」が潜んでいる。「人生万事塞翁が馬」という言葉もあるが、これは起こった現象の表層的、客観的事実の記述だと思う。人生はプラス、マイナス、ゼロだと言う意味だ。
しかし、挫折の中にプラス要素があることに気付き、勝利の中にマイナスの要素を感じ取ることができたならば、その時に表面に表われた結果の勝ち負け以上に意味があり、ある面で人生の深い意味の勝利者になるのではないだろうか。一見、敗者になった場合にその「負け」の意味が感じられ、その気付きによってその後(人に知られなくても)、充実・豊饒な人生を送ることができたならば「勝ち」以上の意味がある。勝者になった場合も同じである。「勝ち」の意味、勝ちのレベルを気付かずに、有頂天になれば「勝ち」が負けに繋がっていくと思う。起こった現象に一喜一憂するのではなく、その深い意味を気付くようになる時、敗者も勝者もなく、もっと人生の深い意味を感じるようになる。しいて言えば、何か大きいもの(something great)に守られていることに気付く。ここから感謝、謙虚の意味を理解するようになる。生きざまとは、特に敗者(マイナス)に成った時に、その深い意味を感じ、その中のプラスの意味(要素)を糧に人生を深く生き抜くことではないだろうか。その先には勝者以上に人生に覚醒した自分を見出すのである。だから、生きることは一人ひとりにとって価値があり、意味を見出しながら一歩一歩高みを目指す限り、勝者も敗者もない。
教育者、ジョン・F・ディマティーニも「物事はすべて二つの相対するもので補完的に成りたっている。その二つは完全にバランスが取れており、本来は中和されたニュートラルなもの」「人生のどんな局面においても、持ち上げられることなしに落とされることはなく、落とされることなしに持ち上げられることもありません。ポジィブとネガティブ、良いと悪い、支援と試練、平和と争い。すべては二つ一組でやってきます。そしてそれら二つは同時に存在し、完璧なバランスを保っています。宇宙を構成しているのは、そのバランスなんです」と、ある雑誌で述べている。そのバランスが崩れるときに問題が起こる。そこで勝ち負けが生じるが、その意味を気付くことにより、バランスが取れてくると考えてもいいと思う。