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「社会システム・デザイン」待望論序説――知謝塾&池袋コミカレ講座第五回 横山禎徳さんの講演を聞く(3)


講演会後、いくつか横山禎徳さんの旧著に目を通してみた。
デザイナー、アーキテクトと自称する通り、基本的にみずからの思想イデ―を言語的に表わすことを本分とする人ではないのだろう。行動のための思索、決断のための理論、一言で言えば「実践知」。抽象度が高いとは言え、やはり根は職人気質、知のマエストロなのだと思う。

メインテーマは一貫している。「社会システム・デザイン」だ。
このところ、ソーシャルデザインとかソーシャルイノベーションとかいう言葉が流行っている。
横山さんはそんなイメージ先行の軽薄さ、言いっぱなしの無責任さを一蹴する。
人によって意味解釈がまちまちでは建設的な議論、生産性のある施策は成り立たない。概念定義を第一とすべし、だと。

「社会システム」とは、「産業、省庁、学問横通しの「生活者・消費者への価値創造と提供の仕組み」。
「デザイン」とは、「演繹的でも帰納的でもない、学問でもないアブダクティブな思考方法に基づく『身体知』」である。

「社会」そのものは社会学の言うオートポイエティックシステムであり、それをデザインしようとは神の業。神でない人間には不可能、ただしそれを構成するサブシステム、たとえば医療システム、エネルギーシステム、教育システムなどは近代合理知を駆使して何とかデザインすることができる。ただしそれらがダイナミックシステムであること、つまり諸行無常、無数の機縁が織り成す間断なき変化の連鎖であることを理解しなくてはならない。

デザインの定義は少し解説が必要だろう。
アブダクション、仮説的推論とか仮説形成とか訳される。最近、よく見聞きする言葉だが、さまざまな仮説を立てては、さまざまな角度から繰り返し繰り返し検証し続けるという、根気のいる地道で気の長い思考法とでもいう感じだろうか。すぐ結論や解答を得ようとする今日の安易な知的風潮に対するアンチテーゼという趣きもありそうだ。

横山さんに言わせると、このデザインとは素人が一朝一夕に身に付けられるものではなくて、その道のグルに倣って徒弟制度的訓練と実戦経験が不可欠な高等技能である。ましてや現代の複雑極まりない社会システムに向かい合うとなればなおさらである。社会システムは目に見えない。課題設定の正否についてステークホルダー間のコンセンサスを得るのも難しい。いきおい従来型の縦割り「産業振興」的発想に流れる。
これこそ過去20年、いや30年以上、ずっと目にしてきたお決まりの日本的空気による政策決定の風景である。

これに対して、横山さんの提唱する社会システム・デザインのアプローチは実に明快だ。
まず対象分野に内在する「中核課題」を抽出、定義し、ここから派生する複数の悪循環を発見する。おそらくはだれの目にも明らかなのは複雑に入り組んだ悪循環の方なのだ。たとえば、医療にせよ住宅供給にせよ少子化にせよ、八方ふさがりでヤマタノオロチのような悪循環の実在は明々白々である。そのうち手の届く悪循環を一つだけ裏返してみるが、まず効果はない。その対処療法を何度か繰り返しては底なしの無力感に陥る。この病理パターンがかくも豊かな日本社会の至るところに吹きだまっている。
これらヤマタノオロチ的悪循環群の中に隠れた中核課題をえぐり出して、そこを射抜くというわけだ。要するに本当の頭はどれなのか、どこが急所なのか、それをはっきりさせなければ、ヤマタノオロチは退治できないという話である。
中核課題が見えれば、それがもたらす悪循環をただ裏返すだけでなく、状況を根こそぎ変革する「良循環」を描ける。さらにそれを駆動するサブシステムも見えてくる。次にそのサブシステムごとの行動ステップを抽出し、ツリー状に分解していく。
実に建設的かつ創造的なロジカルシンキングがここから始まる、と。こうなる。

なるほど!と膝を叩いて共感する人は少なくないはずである。
特にビジネスや研究の最前線でこうしたヤマタノオロチと日々対峙し、地道な持久戦を続けているようなマネージャクラスの皆さんにとっては実にリアリティあるお話だったに違いない。

そう言えば、「課題先進国・日本」というスローガンはもともと横山さんが言い出した言葉だそうだ。
もちろん現時点で「課題がある先進国」ことをよしとするのではなく、将来において「課題を解決する先進国」になるという、いわば決意表明のメッセージでもある。その前提になるのは、横山さんが言う「課題設定能力」というやつだ。「中核課題を抽出、定義すること」と言い換えてもいいだろう。
そう考え直してみると、このスローガンがますますあやしく感じられて、そもそも縮み志向、箱庭志向の日本人には、「社会システム・デザイン」などというスケールの大きな仕事は向いていない、と自信喪失しそうになる。
しかし、横山さんはそうではないとして、日本が誇るべき社会システム・デザインの先駆者として戦前の小林一三を挙げる。
ソフトとハード、文化と産業、地域とメディア、娯楽と政治、国家と個人など、正反対と思える対極的な軸をいくつも束ねながらダイナミックな新事業創造を繰り広げた奇跡の実業家。戦時下での閣僚を務めたためか負のイメージがあるとしても、今こそ日本発ソーシャルイノベーションの模範として学ぶべきはこの人物を措いて他にはない。かねてよりそう思っていたのでわが意を得たりとのコメントであった。

そうは言いつつ、依然として「社会システム・デザイン」が現実の政策プログラムに乗るには至っていない。その実現には横山さんの他に、もう一人二人、剛腕の「親分」が必要ということなのであろうか…

そんなことを思いつつ、公開講座シリーズの最後となる次回、村上陽一郎先生の講演会を楽しみに待つ今日この頃である。

(文責:飯塚)

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