マッキンゼーの『親分』、大いに語る――知謝塾&池袋コミカレ講座第五回 横山禎徳さんの講演を聞く(2)

今回、横山禎徳さんの講演テーマは「自分の生き方はデザイン可能か」であった。

これは「人生論、人生学をお願いしたい」という、こちらからのオファーに対して当初、横山さん自身からご提示いただいたタイトルである。もちろん、「人生を思いどおりにデザインできるわけがない」という、あたりまえのコモンセンスを含む反語表現だ。
また、そのやり取りの際、自分からあらかじめ「生き方のコンサルティング」という仮題を付けておいた。他の先生方と差別化するという意図ではあったのだが、我ながらさすがにクサ過ぎる、しかも横山さんは自身をコンサルタントとは称さない。あくまでもデザイナー、あるいはアーキテクトというのが自己認識らしいのですみやかに却下した。
ところが今回、パワーポイントの冒頭には、この仮題がそのまま掲げられていたのには驚いた。これも丁重に当方の企画趣旨を汲んでいただいた証拠に他ならない。思いのほかきめ細かな配慮がうれしい。

今回、講演用パワーポイントとして3時間分、50枚以上のスライドをご用意いただいた。しかしながら、実際の講演はその半分の1時間半にも満たない時間である。横山さんには誠に申し訳ない限りであったが、ご持論である「循環思考」や「社会システム・デザイン」の詳細、各論については割愛せざるを得なかった。

ただし、幸いこれらの内容は、ダイヤモンドオンラインやハーバードビジネスレビューのWebサイトの連載コラムでその概要を読むことができる。
ご興味のある方はぜひとも目を通していただければ、と思う。

◼︎ダイヤモンドオンライン
変革は“辺境”から生まれる[社会システムデザイナー・横山禎徳氏]
◼︎ハーバードビジネスレビュー
これからの日本に必要な「社会システム・デザイン」の考え方


これらの横山メソッドをくどくどと、しかも舌たらずにレポートするのは芸がないと思われる。ひとまず講演を聞いての個人的な所感とささやかな思索の一端を記しておきたい。

今回の講演がなぜ受けたのか。
取り分け世の分別をよくよく心得た理系知性に受けたのかと言えば、恐らくは横山さんの話の概念定義が非常に明確であり、その上でロジカルな論の運びが感覚的に心地よかったからではないかと、勝手に推察する。

最初に自己紹介として、横山さんは現在、東大EMP(エグゼクティブマネジメントプログラム)というのを企画、推進していると紹介した。このプログラム自体が自身のライフワークという意味でもあろう。
称して「新しい思考能力獲得訓練の場」という。では、そこで何を教えているのか、何を訓練しているのか。

それは「課題設定能力」「サイエンス・リテラシー」「ダイナミック・システム・リテラシー」の三つだという。この三つが複雑に入り組んだ現代社会でリーダー的ポジションに就く人間に必須な要件ということに他ならない。

世の中に課題はもちろん山積している。解決したいのは当然だが、そのためには、複雑に入り組んだ課題群を的確に認識し、優先順位を付けることが大切になる。これが出来ないので、行き当たりばったりで対処療法的対応に終始した結果が今日である。

サイエンス・リテラシー。個人的には耳が痛い限りとはいえ、何だかんだ言って日本は文系社会である(モノづくり企業の組織内では正反対だが)。政府内、あるいは世論形成に絶大な影響力を持つマスコミ内に理系人材は皆無に等しい。これは日本の高等教育制度に起因するが、必要条件としてのサイエンス・リテラシーを満たさぬ者が重要政策決定を下す資格はない、と。正論である。

そしてダイナミック・システム・リテラシー。意外とこれが一番欠落している基本認識かもしれない。諸行無常と言えば、誤解を招くが、この世は常に変化の連続である。絶えざる変化を前提にしたデザインが求められる。一方、「再現性」を重んじる日本型組織体質はとかくスタティック・システムを指向する。ここに課題の助長、拡大再生産している元凶がある可能性も高い。

これだけでも何となく目の前のもやもやが晴れたような気がする。さらに専門、経験分野は、「組織デザイン」と「社会システム・デザイン」だという。双方ともホットなキーワードである。

組織デザインというのは、組織図を描くことではない。「人の行動」を変えるためのOS、Operating Systemを統合的にデザインすることだ。それは多様なデザイン語彙を駆使したプロフェッショナルな仕事であり、素人が見様見真似で一朝一夕にできるようなものではない、と突き放す。
社会システム・デザインは、縦割り行政で業界単位の最適化を図るという、従来の「産業振興」的発想とは正反対であり、あくまでも「生活者・消費者への価値創造・提供」をめざすものだ。

ところが現実は、政治家も、官僚も、そして企業も、失われた20年を経てもなお過去の成功体験から抜けだせず、相変わらず「箱」中心の組織図、生産者・配給サイドロジック中心の発想から抜け出せていない。3.11以降の目を覆うまでの無様な右往左往ぶりがその最たる証しではないか。

かような憤りを持ち前の断定調な物言いで一気に露わにする横山さんは、まさしく当世屈指の憂国の士に違いないのだが、今回の講演では、そんな横山さんの自伝的語り、パーソナルヒストリーが語られた。
後で聞くところでは、どうやら、これはレアな機会であったようだ。
その中でも個人的にとりわけ胸に残ったのは、横山さんが師事した二人の歴史的人物、つまり日本の近代建築の祖である前川國男と“マッキンゼーをつくった男”のマーヴィン・バウアーを「親分」を言ってのけるところであろうか。
そうそう、横山さんの言うことは、基本的に「親分」の話なのである。

続く

(文責・飯塚)
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