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「心」財の時代 -成長の三段階-

21世紀は「心の時代」と言われて久しい。しかし、現実は日暮れて道遠しという感がある。何故か、我々は未だに「モノ」の価値観にどっぷり浸かっているからである。拝金主義(モノ、カネ、権力、地位・・)の価値観が快いのである。他人よりも多くのモノ、カネ、権力を持っている(Having)ことが、他人に対する優越感と他人が投げかける視線が何とも言えない幸福感を誘うのである。
なぜこのような気持ちを持つことがダメなのか。行きつく先は、他人と比較して勝った、負けた、の世界であり、私が人生の目的とする創造的な世界とは程遠いからである。「モノ」は生活するために必要な程度、「ほど、ほど」あればよい。しかし、「モノ」の世界では際限がなくなり、「もっと、もっと」を追求し、数字で管理される。他人と比較して悩むことは、わが身を嫉妬心で焼き尽くし、人生にとって大事なものを喪失することになる。人生にとって大事なものとは後で述べるが、この世に「生れて来た意味」、「生きる意味」(Being)みたいなものである。 
私は科学技術の三つのステージについて述べたことがある。テクノロジー(技術)からサイエンス(物理)、そしてフィロソフィー(哲学)の三段階である。1980年代、日本が一瞬、欧米を技術の面で抜いたと思われた時があった。その時言われたのが、日本の「基礎研究ただ乗り論」である。欧米でかなりの研究費をかけて発明・発見されたものを日本は、即、技術化し、産業化すると揶揄した言葉である。サイエンス(=「知」)の裏付けが無い状態の技術である。日本はその後、「モノづくり」大国を目指しているが、今、重要なものは「モノづくり技術」ではなく、むしろ「モノづくり知」である。「モノづくり技術」に通底している「知」が産業の中核を占めるようになっている。「モノづくり」そのものは既に、労働コストが安い新興国に移り、「知」で勝負する時代になっている。欧米はアーキテクチャやソフトウエア、知財、ライセンスで稼いでいる。また、グーグルやフェイスブックを始めとしたインターネットを利用するビジネス(e-business)が米国を中心に1990年代から起こり、政治や社会変動まで惹起している。
さらに、最近は「技術」や「知」が引き起こす負の側面が問題になってきている。強欲資本主義、原発問題、等々、科学技術と社会との関係が問われている。科学者が没価値的に(無邪気に)、研究を続けることもままならない時代である。自分達が発見、発明したものがどのように社会に影響するかが問われている。研究者にも「哲学」が求められている。まさに「科学者の倫理」がクローズアップされている。特に3.11以降、『科学者が人間であること』(中村桂子)、『人間にとって科学とは何か』(村上陽一郎)等の書籍が注目を浴びている。今ほど科学者(専門知)に対する不信感が蔓延している時代も稀である。科学と社会との接点で起こる問題は、科学知識だけでは解決できず、経済学、政治学、心理学等のあらゆる分野の智慧が必要になる。これをトランス・サイエンスの時代と称している。科学が「社会的合理性」という視点から問われている。
同じことがビジネスの世界でもいえる。上で述べた「モノ」の時代から「知」の時代。「知」は企業にとって財産になる時代と云う意味で「知」財と名付けた。さらに最近では「知」の行き過ぎに警告が慣らされている。先ほど述べた金融工学という「知」を巧みに操る金融資本主義の跋扈。逆にCSR(Corporate Social Responsibility):企業の社会的責任、にも注目が集まっている。これは非常に良いことであるが、最近はCSV(Creating Shared Value)と称して社会にとっての価値と企業にとっての価値の両立を目指す経営理念に変わりつつある。あくまでも企業の利益を中心に据えた考え方であり、社会・人間中心ではない。まさに米国流の考え方と思われる。利益をある程度犠牲にして社会との調和をはかるという「心」の経営とは思想的に程遠い感じがする。これは未だ「知」の段階に留まり、「頭のいいやつが儲かってなぜ悪い」という考えに堕していく危険性がある。
人間においても三段階がある。「肉体(=健康)」の波動から「精神」の波動へ移行する。この波動は知性や理性を重んじる段階である。今はこの段階であるが、さらに進化すると、「魂」の波動が芽生えてくる。「魂」の波動とは謙虚さや利他性が尊ばれる心理状態であり、精神の「内的成長」が高まった領域である。特に、人間ではこの「肉体」、「精神」、「魂」、の全てが調和することが最終的に求められる。
今まで述べてきたように、我々は、三段階の「知」のステージにいるが、「モノ」の段階に逆戻りするか、「心」の段階に移行するかは「知」に対する考え方で決まってくる。「知」を権威、権力の手段として利用すれば「モノ」の価値観に落下する。逆に、真理を知れば知るほど己が「無知」であることを悟れば、謙虚さや感謝の気持ちが芽生えてくる。これが「心」の価値観になり、生きていく上での財産になる。「心」の価値観とは、他人と比較することなく、自分の「生きる意味」を創造、自覚して、これで良いのだと心の底から納得して生きている価値観である。だから、他人に対しても優しく、慈悲的に接することができるのである。
「心」財は「モノ」財と違って、数字では管理できない。失うこともない。貯まれば貯まるほど「心」が豊かになる財である。精神の「内的成長」こそがこの財をさらに大きくする。「知謝」の意味もそのように解釈していただくと良いと思う。

武田 英次 知謝塾塾長

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