科学史・科学哲学の終身プリンス、村上陽一郎先生へのオマージュ

先週、記録的な降雪に見舞われた都内某所にて村上陽一郎先生と打ち合わせした。

そんなフラットな物言いは、自分のエモーションを完全に裏切っている。
なぜならば、私自身、物心ついたと自信をもって言える大学生時代から数えて、今となっては四半世紀にもなる村上先生の愛読者であり、お世辞抜きにしてあこがれの存在であったからである。

しかし、今の仕事柄、村上先生にアプローチできる機会も少なくない、というような事情から、情けないかな、本来の有難みを感じられなくなっているとすれば、それはいかにも世慣れた中年サラリーマンの悲しさであろうか。
本心を言えば、もちろん村上先生は、今のなお自分のアイドルである。
そんな気持ちに応えるかのように、東洋英和大学学長の村上先生は今もなおエレガントな青年風、アカデミアのプリンスと呼ぶに相応しい風貌を湛えておられる。

さて最近、明治維新からこちら、近代日本の歴史的ダイナミズムを支える精神的支柱、あるいは思想的バックボーンとして、陽明学に興味を持ち、関連書籍を夢中で読破しているのだが、実に興味深いのは、必ずしも判然たるジャンル分けができるだけではないものの、陽明学的なるものの系譜に、近代日本史を彩った各種の英雄たち、大塩平八郎吉田松陰西郷隆盛、澁澤栄一、乃木希助、内村鑑三新渡戸稲造etc.といった、まさにトップ級のキーパーソンが名を連ねていることである。
最も官僚主義形式主義に染まった体制のトップ中のトップに陽明学という反体制のアウトサイダー思想の信奉者が居たというのは、誠に不可思議な組み合わせと言えようか。(とは言え陽明学的なるものの現代的有効性を信じているわけではまったくないのだが。)

なぜ、こんな事を言うかと言うならば、村上陽一郎先生もまた東大アカデミアを代表するシンボリックなスター学者であり、つくば万博あたりから日本の科学技術政策やイベントの度に毎度、中心的存在として無数の要職を務めてきた人物でありながら、しかも最も現代日本における科学および科学者の在り方というものに対して、真っ向から批判の矢を放ってきたという、何ともパラドクシカルな構図が、体制の中枢にいながら心はウルトラ反体制という陽明学系の英雄たちの姿と少なからずオーバーラップするからなのだ。

村上先生の代表著と言えば、何と言っても20年近く前に上梓した『科学者とは何か』に尽きる、と個人的には確信している。
今の科学アカデミアの現状を歯に衣着せぬ物言いで、ありったけ全面批判した内容で、その批判精神の徹底ぶりに一読書人として当時20代前半の自分も腰を抜かすほど感銘を受けた、という記憶がある。
この人は、この人だけは信頼できる、そう確信した一冊でもあった。

で、思い返すと、文系フランス文学専攻で、サドに始まり、ドストエフスキー、ロレンス、ニーチェバタイユ等の反近代主義の思想系譜に傾倒していた自分が、なぜ村上先生に特別なる共感・共鳴を抱いたかと言えば、やはりサイエンスをキリスト教の宗教文化で再解釈して、ウェーバー的文明論のコンテクストでその全体像を教示してくれたからに違いない。
理系的メンタリティからはまったく理解不能であろうが、20世紀以降の文学ないし思想的トリッキーのイシュー、例えば、シュールレアリズムや実存主義構造主義ポストモダニズムといったムーブメントは、明らかにサイエンスの実証主義的ロジックやプラグマティズムに対しての人文学サイドの、良く言えば危機感、悪く言えばコンプレックスの産物であったと思う。ゆえ科学サイドから村上先生というタレントが登場し、人文学サイドの文脈で理解可能なサイエンス像を提示してくれたことは、何とも貴重な掛け替えのない「金の架け橋」と見えたものである。

そんな村上先生の今のテーマは勿論、「教養」、リベラルアーツである。
先生はしみじみとおっしゃる。アカデミアも変わってきたと。
3.11での専門家の体たらくは申すまでもないのだが、それもあって科学者、科学コミュニティの側は、今や一般社会、市民社会とのコミュニケーション、対話、理解、説明責任等の重要性を身に沁みて実感している。
かつてのような専門家だけのマニアックな秘密結社的性格は乗り越えている。
第一には、国税投入に対するアカウンタビリティー。
しかし、それ以上に世界的成果を出す研究者や研究マネジャーのメンタリティが変わってきていると。
宇宙論の村山教授、国立天文台の渡邉教授ら、新世代のサイエンスコミュニケ―ターのスマートな振舞は往年からは想像さえできないオープンマインド、卓越したコミュニケーション能力ぶりだ。
確かに第三者的に見ても、山中教授や今回のSTAP細胞のあの方などの言動からして明らかに社会的スタンスやメンタリティは異なる。それがイノベーション絡みの科学技術政策とどう関係するのかは不明だが、昔のマッドサイエンティスト像とは隔絶している。

かように科学アカデミアに関してポジティブな見解を述べる村上先生は、あの底抜けに批判精神に徹した名著『科学者とは何か』の筆者であると同時に、今日の科学技術政策や科学コミュニティに比類なき影響力を持つアカデミアの重鎮でもあられるわけだ。

そんな村上先生の口から発されるリベラルアーツ論、その内容はやはり名実ともに重いのである。

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(文責:飯塚)