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雑感「機械論的自然観」

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昨年の10月から新たに始まった池袋コミュニティ・カレッジとのコラボによる「知謝塾」は今年の1月で4回目が終わった。少し、振り返って考察する。

第一回目は不肖私で、現代は「多様性の時代」で価値の多様性が大切であることを述べたと思う。私の専門である半導体も「微細加工」という単一的価値によって繁栄し、それにより終焉を迎えていると言うことは過言であろうか。

二回目は西垣通東大名誉教授の「集合知」の利点と問題についての講演であったが、3.11以来の「専門知」に対する不信感やビック・データの問題について言及された。彼の著作である『スローネット』の考え方はコンピュータ万能の時代に、自分の頭で考える時間や「待つ」ということの重要性を指摘している。

三番目は伊東俊太郎東大名誉教授の「創発的自己組織系としての自然」という講演で、自然の「自己組織性」、「自己形成性」、「自律性」を強調し、デカルトやベーコン等の「機械論的自然観」や「自然支配」の考え方に痛烈な批判を展開した。この「機械論」が自然破壊すなわち現代の環境問題をもたらしていると警告した。さらに、「ゆらぎ」が創造の源泉であると云う件は、多様性と繋がるが、今後、思考の大きなヒントになると思う。

四回目は元日銀副総裁でジャーナリストである藤原作弥氏の講演で、ジャーナリストとしての経験から歴史を振り返りながら多角的に分析し、持論である日本経済四十年周期説を展開した。それによると、2025年が次の節目の年になり、「個」の力が社会を牽引していくという考えである。彼の持つジャーナリストとしての感性のすごさは、価値の大小や善悪を即座に判断できる「価値の遠近法」を身体的に備えている点である。しかも「自然体」で対処できる。彼は私との会話に中で、「アベノミックス」や竹中流の経済政策には批判的な意見を述べていたことが印象的であった。

こう見てくると、四者とも講演の通底には「機械論的自然観」が原因と言われている「価値の単一化」と人間性を無視した大量生産、大量消費、大量廃棄、「もっと、もっと」という思想に対する危機感や嫌悪感がある。「文明は文化を駆逐する」(山崎正和)ということだ。

一方、デカルトやベーコン等が唱えた「機械論的自然観」や「要素還元主義」により、近代科学文明が築かれたことも事実である。今、我々はその成果に浴している。その価値観が生まれた人間中心主義、進歩の思想、科学万能主義から経済効率至上主義につながり、拝金主義の単一的価値観に染まっている。近代物質文明は、建前では理性を尊重しながら本音は欲望の追求に堕している。

そこで出てきたのが、「生命論的世界観」(中村桂子)である。自然も人間も皆生きている。自然は死せる機械ではない、生命を失った単なる幾何学的広がり(「延長」)でもないというわけだ。この二項対立から止揚アウフヘーベン)して新しい世界観を設立するのではなく、両方大切だから「重ね画き」をすれば良いではないかという大森荘蔵の「略画(=日常)的世界観)と「密画(=機械)的世界観」の「重ね画き」という思想が生まれる。在野の知と専門知、生活と人生、文系と理系(文理融合)云々、二項対立ではなく両者を生かす考えだ。止揚という観念論に陥ることなく両者の視点をバランスよく持つことが生きる知恵になっている。

ところで、デカルトほどの天才が「機械論的世界観」の問題点を見抜けなかったであろうか。私的な意見だが、ギリシャ時代から続く「生命論的世界観」の重要性も分かっていたはずである。しかし、物事の解明には幾何学的広がりを持つ自然観が必要だったし、自然の複雑系を複雑に提示するのではなく、要素還元主義により単純化した方が早く、効率的に進むという直感が働いたと思う。過去の歴史はその素晴らしさを証明している。
純化することにより、捨象したもの(人間的、生命的)からの逆襲を現代の我々が受けていると考えてもいい。今から続く時代は「生命論的世界観」の価値が大きくなることは間違いない。iPS細胞やSTAP細胞の発明も偶然の必然の様な気がする。

さらに、利己主義と利他主義も「重ね画き」の思想が必要な気がする。人間の歴史は「欲」の歴史とも言われている。人生を評価する物差しは何か? 人の存在価値を担保するのは社会的地位か?と問われた時、学歴、お金、地位ではないと皆さん、答えると思うが、ふと、我に帰って、人を評価・比較する時、拝金(金・地位・名誉)主義的に考えている自分に気づくと思う。それくらいその価値観に染まっているのである。しかし、それが行き過ぎるとリーマン・ショックみたいな強欲資本主義が起こってくる。原子力問題も同じだと思う。専門家もいざとなると、自分を守ることを一義的に考え、専門知の殻に逃げ込んでしまう。人間の本能的に持つ「欲」を多角的視点で見つめて、どう利他主義と折り合いをつけていくかが人間の叡智であろう。

思いつくままに述べてきたが、賢者の発想に触れることは多くの考える視点を与えてくれる。思考を深めることが重要である。知謝塾に参加してくださった講演者や聴衆に感謝あるのみである。 

- 知謝塾に 届く智慧の輪 老いの杖 -

武田 英次(塾長)