《レポート》藤原作弥さんが語るジャーナリスト魂とは

今回の藤原さんの講演会も、やはり第二部の武田塾長との対談コーナーが盛り上がった。
一つひとつは決して想定外というわけではないのだが、何とも興味深い話題が次から次へと出てくる。すると、誰もが集中力を高めながら、話の行き先に付いていこうとするのが手に取るようにわかる。結果として、会場の空気が一変する。まさにオートポイエーシスとも言うべき、実に面白い現象だ。

武田塾長の最初の質問、「藤原先生の言うところのジャーナリストという仕事の本質は何か、アイデンティティとは?」であった。
答えは「好奇心」と「放浪癖」だ。後者で少し笑いが漏れる。
考えてみれば、藤原さんの十八番とも言うべき鉄板ネタなのだが、やはり何度聞いても興味深い。改めて敬服するような人生哲学である。

「好奇心」というのは、野次馬根性的なフットワークの軽さもあるが、それだけではない。「真実に対する好奇心」とでもいう意味であろうか。ここで藤原さんが紹介するのはご自身のご祖父様からの受け継いだジャーナリスト魂である。
藤原さんのご祖父様は、明治時代の新聞草分けを生きた論客であり、今日の河北新報社につらなる東北反骨ジャーナリズムの元祖とも言える人物なのだが、戊辰戦争の歴史的検証・評価に関して、政府・藩閥権力からの圧力に抗い、会津藩側の論理的正当性を認め続けたという。つまり真実というものを、時局や政治的な事情ではなく、客観的な史実に基づき公平に判断するという正義の人であったのだ。
藤原さんは、この「真実に対する好奇心」、つまり価値中立性を尊ぶ姿勢をご祖父様から継承しているという。

もう一つの「放浪癖」は、民俗学者であったお父様から受け継いだ精神である、と。ウラル・アルタイ語族の研究をライフワークとしていたお父様は、東北・北海道から始まり、朝鮮半島、モンゴルへと家族と共に移り住みながらフィールドワークを続けていた生粋の学問人だが、そこには徹底的な拘り、凝り性、妥協なき探究心などがある。戦争がなければ、トルコ、フィンランドまで足を延ばす予定だったそうである。藤原さんもこの「放浪癖」を継承しており、ジャーナリストという仕事と共通しているという。

二つ目の質問は、名著『李香蘭―私の半生』についてであった。「藤原先生は、この作品を通じて何を描こうとしたのか?」である。
これについての答えは、藤原さんの世界観の最も大切な部分が込められていたように思う。
李香蘭』は、私も夢中で読んだ。まずは職業柄もあり、豊富な資料と取材に基づく、綿密かつ精緻な記述に舌を巻いたのだが、それ以上に畳みかける人間ドラマとしての迫真性にただただ息を呑む。にわかにノンフィクションであることが信じがたい、思わず天を仰ぎたくなるような壮絶な歴史的シーンの数々。

それを書いた藤原さんはおっしゃる。
満州の悲劇を実体験した自分は真実の昭和史を描くことをみずからの使命と感じていた。そして山口淑子さんと出会い、『彼女の人生こそがそのまま昭和史なのだ』と気づき、共著者としてあの本を書くことを決意した」と。

詳細は、藤原さんご自身の著書をひも解いていただくこととして割愛するが、最後にこのような意味合いのことをおっしゃっていたと記憶する。
今、日本はさまざまな課題に直面しているが、これらを解決するためのヒントが昭和史に隠されている。ただし昭和史は未だに検証しきれていないテーマも多い。ゆえにそれを論じるにも政治的空気に左右されがちなのだが、それでは決して真実は見えない。自国の歴史を公平に、勇気をもってもう一度見つめ直すことが今、強く求められている、と。
こんな時世だからであろう、改めて噛み締めたい言葉である。

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