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《レポート》藤原作弥さんの講演を聞く

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時事通信社解説委員長、日本銀行副総裁、日立総研社長などと書くと、改めて藤原作弥さんが輝かしい「黄金の経歴」の持ち主であることに気づく。
しかし、その素顔は驚くほど気さくで温厚なジェントルマンである。
世に一流、それも超が付くようなレベルになると、あえてオーラを消した自然体の「普通人」であることも多い。
そんな中でも藤原さんは常におおらかで、しかもさりげないサービス精神旺盛という、まさに偉大なる「ミスター自然体」とでも言うべき方である。

戦後日米経済のドラマを知る生き証人
今回の講演会は、ご自身が「生涯一ジャーナリスト」と呼ぶ多彩な半生についてお話しいただくこととなっていた。
お話は、まずオタワ、ワシントン特派員の時代から始まった。
1966年から1971年。昭和で言えば、41年から46年。
ベトナム戦争下の騒然としたアメリカ社会。反戦運動サイケデリック、フラワームーブメント真っ只中。「黄金の50年代」を謳歌した後、ケネディ暗殺を象徴として一挙に噴出するアメリカの闇。
そしてニクソンショックとして知られる突然の金本位制停止。中国訪問。
ロック、ジャズ、映画、文学、アート等、20世紀大衆文化のクリエイティビティはこの時期にピークを極めた。いろいろな意味合いで特別なカオスの時代、我々にとっては憧れでもあった時代、藤原さんは生のアメリカを「体験」されたわけだ。
中でもニクソンショックは、歴史的に振り返れば、それ以前は繊維・鉄鋼、それ以後では半導体・自動車・家電と続く日米貿易交渉上のエポックであり、ここから日本とアメリカの関係は大きく変わる。アメリカ経済にとって脅威、最大のライバルとなる。その競合、敵対関係がエスカレートしていった結果、1985年のプラザ合意を経て、1990年代バブル経済崩壊、さらに日本経済の根幹である金融システムの崩壊が、アジア通貨危機という形で現われる。
そして、この時、日銀改革を検討する諮問組織にジャーナリズム代表として参画した藤原さんは、異例の抜擢で日銀副総裁の命を受け、日銀の独立性・透明性、そして社会に対する説明責任をミッションとし、金融ビッグバンに伴う数々の改革の先頭に立つ。
今回、そんな歴史的一幕で舞台上の役者だった藤原さんのお話を通して、1971年のニクソンショック金本位制停止から1996年以降の金融制度改革まで、四半世紀の日本経済の歩みが、アメリカとの関係性の変遷という、一つの線で強く結ばれていることを痛感したわけであるが、本当の問題はこの先なのである。
今から18年前、迫りくる本格的なグローバル化に向け、藤原さんを筆頭に日銀改革、金融制度改革が掲げた基本理念は、独立性・透明性、開かれた日銀などであったという。
では、それに照らして今のアベノミクスの諸政策は一体どうなのかと。
これらに対する藤原さんの見方、評価は非常に厳しいものであったが、特にその金融政策が、かつての日銀改革とはまったく異なる価値観、考え方に基づく政策判断であることは間違いない。
国民世論には、アベノミクスに対しては当初より賛否両論があり、次第に悲観的な見通しが強まっているとは言え、国民経済全体の復調、成長回復という観点では、その有効性についてまだ結論が出ていない段階であろう。
とは言え、国民経済の根幹にかかわる重要政策がまったく異なる価値観、考え方に基づき行われ、しかも世論、ジャーナリズムもほとんどその問題を取り上げて議論することがないのは大きな問題に違いない。将来の経済や国民生活の影響の大きさを考えれば、単に時流やトレンドと言って済ませられない話ではないか。
ひとりアベノミクスの是非だけが問題なのではない。
本質的には国民世論を二分するような重要課題について、少し広めの歴史的なスコープで考えるという合理的な態度が欠如している、ここに問題の核心があるということだろう。
その場合に藤原さんという「歴史の生き証人」の生涯を中心に置いて考えてみるというのは有効なことに違いない。

日本社会の未来を40年周期から考える
,藤原さん資料


目の前で起こっている事象をいかにとらえるか。その意味合いは、それをいかなるスパンの歴史的スコープで見るかで大きく変わってくるはずである。
取り分け時々刻々と状況変化する経済状況、景気動向などは、その変化の意味するところを大局的俯瞰的に見てとらえることが重要である。経済学では、それを景気循環として説明している。
まずは数年単位の在庫のサイクルに基づく、短期波動と言われるキチン循環。設備投資の循環による中期波動のジュグラー循環は約10年。さらに建設投資、あるいは戦争のサイクルによる長期波動は「コンドラチェフの波」と呼ばれるが、シュンペーターが取り上げ、その要因として技術革新を位置付けたことで一躍有名になった。
さて、藤原さんは、これらを踏まえて、近代日本の社会システムがほぼ40年周期で大きく入れ替わっているという歴史の見方を紹介してくれた。
最初は1868年の明治維新。有無をも言わせぬ欧米列強の帝国主義勢力。それに対応するために、国を挙げて富国強兵、殖産興業で軍事大国をめざした。
その結果、日清・日露に勝利して念願の不平等条約を解消、有色人種として初の一等国の仲間入りを果たす。これが日露戦争終結の1904年でほぼ40年。
それから第一次世界大戦の特需、大正デモクラシーでひと時の栄華を飾るも世界大恐慌から軍国主義をエスカレートさせて無謀な戦争に突入。そして亡国に等しい決定的な敗戦が1945年。
戦後は経済大国をめざして、ひたすら産業復興に没頭して奇跡的な経済成長を果たす。ここでは企業部門が最大のけん引力となる。エコノミックアニマル、トランジスターセールスマンと揶揄されながらもアメリカに次ぐ第二の経済大国にまで上り詰めて、一時はジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた。
しかしその結果、1985年プラザ合意を契機としてアメリカ経済の戦略的な反撃が始まり、日本はバブル崩壊、長引く不況、金融危機、加速するグローバル化、格差の広がり、少子高齢化と、急激な経済成長のツケとも言える多くの試練に今、直面している。
40年周期説で考えると、次の大きな転換点は2025年辺りに迎えることになるが、そろそろ外圧ではなく、内圧、つまり自発的な自己変革を期待したい。その原動力は国家や企業など組織、集団ではない、個人個人の内なる智恵や創造性であろう。社会全体としてめざすべきは「文化大国」だが、芸術文化だけではなく、生活様式、教育・福祉システムなども含めた社会全体としての「量」から「質」への転換であり、それには必ずしも「大国」である必要はない。
富国強兵の軍事大国をめざした戦前、そして戦後はまた経済力という一つの尺度だけで豊かさを追い求めてきた。これからはそうした一元的な競争を越えた本当の豊かさを考えなければならない。それが文化であり、決して他と競争するものではない。
3.11をきっかけに、日本の中からそのような新しい文明社会の在り方が少しずつ見えてきたように思う、と。

2025年、ということは、つまり今から11年後である。ずいぶん先の話のようにも思えるが、それまでのちょうど真ん中に東京オリンピックが予定されており、意外とすぐ先の近未来とも思えてくる。
確かに3.11で顕在化した可能性はいろいろあるように感じるし、それが社会システム全体を大きく変えるような力になるまでにはもう少し時間が必要だろう。その意味で目標地点としての2025年というのは正鵠を射ている。

しかし、藤原さんが言う日本社会システムにおける次のパラダイム転換とは、時間軸上のロードマップが重要なのではないはずだ。それよりも、外圧でなく内発的、そして国家や企業の組織ではなく、個人が主役になるという意味で、質的に過去のパラダイム転換とは異なる。ヘーゲル弁証法の三段論法の、いわゆるアウフヘーベン(昇華)でなくてはならないわけだ。

その鍵は何か。改めて考えてみると、そのヒントが藤原さん自身の姿にあるように感じられてならない。
希代の博識の人でありながら、その知をこれ見よがしにひけらかさない。他と比べての非凡さに驕らない。または、エキセントリックな物言いをしない。そこには、軽薄な現代の知とは対極である成熟、老熟の境地と、そこで初めて成り立つ自然体がある。

決して理屈ではない、そのアティチュードは、かつての日本で最大の徳とされてきた中庸という言葉の意味するところに限りなく親しいものに違いない。