第3回知謝塾 私の個人的感想~伊東俊太郎先生の講演を振り返って

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第3回知謝塾公開講座での伊東俊太郎先生の講演は,最新著である『変容の時代』に収録されている「創発自己組織系としての自然』をベースとしたものであった。

講演の内容をそのままレポートすることは、事前の打ち合わせでお会いした際、伊東先生から強く辞退されていたので、ご興味のある方はぜひとも著書をひもといていただきたい。
伊東先生曰く、講演とはそこに出席した人たち一人ひとりに対して、語りかけたものであり、決して不特定多数の目に触れることを念頭にしたものではないと。
そして、講演と言えども、「一期一会」であり、その不可思議な縁による一回性を自分は何より尊びたい、とおっしゃっていた。
よくわかるお気持ちである。
しかし、自分はその際、続けてこう尋ねた。
「先生の講演を聞いた自分の感想を公開することは構いませんか」と。
すると、伊東先生は笑って、「どう感じたか、それはあなたの自由だ。そこまで僕が決めることはできない。あなたがそれを公開するのはもちろん構わない」とおっしゃってくれた。
これで一安心だ。
伊東先生の講演について個人的な「感想」を書き記しておこう。

この講演の主眼は、要するに「機械論的世界観」をいかに乗り越えるか、という実践的なところにある。世界も人間もすべて機械として見る、というデカルトの考え方は、アカデミアの世界では文系だろうと、理系だろうと、とっくの昔に否定され、退けられている。
ところがプラグマティックな世の中の仕組みは、依然としてこの「機械論的世界観」を前提として形成され、何ら怪しまれることなく運営されている。
その結果として顕在化しているのが、地球環境問題だ。

環境破壊は確かに問題視されているが、その本質的な原因である「機械論的世界観」はいっこうに問われない。
これはおかしいのではないか。
以上が伊東先生の基本的な問い質しである。

機械論的世界観に対するアンチテーゼが「創発自己組織化」である。
オートポイエーシス理論、動的平衡散逸構造等、関連キーワードが思い浮かぶ。

世界は、宇宙は、生命は、人間は決して機械ではない。
複数の、あるいは無数の関係性が「創発」し合い、みずから組織化する。
それが基本的に最もポピュラーな世界の実態ではないか。
当たり前に考えれば、これほど当たり前のことはない。

このことを伊東先生は「宇宙の誕生」と「生命の形成」を例にとって解説する。
この二つのカテゴリーは過去四半世紀、最も著しい発展を遂げた学問分野であり、その専門性ゆえに多分に教科書的な説明にならざるを得ないわけだが、非常にわかり易いお話であった、と個人的には感じた。

なお受講していたごく一部の方から、「知っていることだった」という感想を聞いた。
確かにサイエンス雑誌やBSテレビなどで、特にノーベル賞シーズンには好んで紹介される内容である。しかし、伊東先生の講演の主眼は世界観なのである。個々の知識が重要なのではない。要はその一つひとつが本質的に何を意味するのか。それにはトータルな全体観、すなわち世界観が不可欠なのだ。
この意味で、私としては伊東先生の講演は、目が覚めるように誠に鮮烈であり、まさに胎に落ちるものだった。大半の人はそういう感想を持ってくれたようである。

さて伊東先生の講演が、お約束どおりの時間オーバーとなったのに続き、知謝塾の武田英次塾長との対談が行われた。
武田さんの質問はまたしても痛快な直球であった。しかも、それを言ってはおしまいよ、という少しえげつない直球でもある。だからこそ、その後の話は実に面白かったのだが。

最初の質問は、「昨今の科学者の倫理的堕落、これは何故起きたのか。またこれを改善、解決する手立てはないものか」。
これはよく考えてみれば、答えることのできない質問である。
改善、解決できれば、そもそもここまで問題になっていないからだ。
実は武田さん、前回の西垣先生にも同じ質問をしていた。
西垣先生は軽くいなされたが、伊東先生は正面から受け止め、この問題の深刻さを滔々と語り始めた。マートンの科学の定義が話題となったが、これも最新著に書いてあることであるので、是非そちらに目を通していただきたい。

続く第二問目も、これまたえげつない難問だ。
すなわち「世界観を変えるということは、ただ学問やアカデミズムの領域だけではない。普通の市井の人々、大衆、庶民も納得して支持してもらわなければ意味がない。かつて時代を画したパラダイム転換には必ず思想的バックボーンとなるものがあった。
今から始まると、先生のおっしゃる『環境革命』。この思想的バックボーンは何ですか」
「まったくもっておっしゃる通り、環境革命は決して知性だけではない、時代や社会の根底にあるもの、すなわちエートスの革命なのです」と、伊東先生はお答えしたものの、さすがにその後、少し考え込まれているご様子であった。

散逸構造ノーベル賞を受けたイリヤ・プリゴジンや、自己組織化論のスチュアート・カウフマンといった名前が出るが、さすがにいささかマイナーだ。アカデミック過ぎて世の中を変えるには至っていない。

伊東先生の存在こそ、その思想的バックボーンそのものでは?
その為には伊東先生の非公認スポークスマンとしてもっともっと啓発活動に邁進せねばならない、そう感じる一幕であった。

(文責:飯塚)