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伊東俊太郎先生との対話、そして思索 其の弐

伊東俊太郎先生のお名前は、偉大な学術的業績と比べて、広く知れわたっているとは言い難い。今もなお、あくまでも「知る人ぞ知る」という存在にとどまっている。これはメディアに露出して有名になるより、ピュアな学術研究を追求してきた先生ご自身のストイックな生き方に起因するとは言え、個人的にはあまりにも惜しい。勿体ない、というのが率直なところだ。

一方、ヨーロッパのアカデミアでは、「12世紀ルネサンスのイトウ」と言えば、物凄いステイタスだという。これは、知識創造経営の紺野先生から伺った話である。祖国の日本よりも、本場のヨーロッパで称賛、尊敬されているというのは、筋金入りの伊東先生らしいと言えば、いかにも、である。

同じく日本ではマイナーなのに、欧米のその筋のアカデミアで知らぬ者は居ない、という逆輸入派のビッグネームに、故井筒俊彦先生が居る。
十余種の言語を自在に操る語学の天才にして、イスラム文明研究の第一人者、そして東洋思想のエバンジェリスト。それが昭和アカデミアの怪物、井筒先生である。何がきっかけだったかはわすれてしまったが、自分は大学時代から井筒先生の愛読者であった。この井筒先生もまた、神懸かり的な知性の深さに比して、日本でのネームバリューの低さには信じがたいほどの落差があった。
その一方、ヨーロッパ、アメリカのアカデミアステータスの高さ、井筒ブランドの孤高さもこれまた有名な話で、伊東先生も、欧米で最も尊敬されているのは中村元井筒俊彦だったと書いておられる。

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大正3年生まれの井筒先生は、昭和5年生まれの伊東先生にとって、全く同じではないが近しい学術フィールドで一回りほど年上の先輩格ということになるのだが、慶應と東大と、長らくベースメントとされた大学の違いゆえに、公式な師弟関係にあったわけではない。しかし、伊東先生は一貫して井筒先生を敬愛し続け、晩年はプライベートな交流があったという。これはご本人から聞いた話である。

そのきっかけとなった対談がある。
タイトルは「イスラーム文明の現代的意義」。対談自体が行われたのは1979年のホメイニ革命直後のようだが、30年以上が経った今、改めて読み返してみると、つくづく、のけぞらされるものがある。

例えば、伊東先生の「非常に早くから語学的にも厳密なイスラーム学の研究を始めた動機は何か」という質問に対する井筒先生の答え。

大学時代、古典を原文で味読して自分のものにするために、フィロロギー(文献学)の世界に入った。すると、英語、仏語、独語のような近代のヨーロッパ語は、これは参考書を読むために必要だが、語学的には平凡で取るに足らない。つまり抵抗がない。どうせやるなら、もっと抵抗のあるものをやりたいと思った。そこでギリシア語ヘブライ語サンスクリット語などをやったが、いずれも抵抗があって面白い。結局、過去に偉大な文化を生み出した言葉はみんなすごい抵抗を示すのではないですか。しかしいちばん抵抗があったのは何と言ってもアラビア語だったんですね


改めて絶句する。
「知」という神々の世界の住人、としか言いようがない。そういう黄金時代を生き抜いてきた人なのだ。情報爆発の薄っぺらなナレッジゲームとは根本的に異なる。
さらに、伊東先生ご自身のアラビア語に向かった動機も同様に圧巻なのだ。
12世紀ごろのラテンの古文書を読んでいますと、アラビア臭ぷんぷんで、(中略)アラビアの学術書からの翻訳なんですね。それをやっているうちに、現在とは違った文明のバランスを12世紀に見出して、西欧世界が西欧として自分を形成していくときに、いかにアラビア文明圏から猛烈なインパクトを受けてやっとテークオフしたかという事情を知りました。
そこで、ギリシア語ラテン語だけじゃその時代の半分もわからないんだということで、初めてアラビア語をやり出したわけです


伊東先生もまた「昭和アカデミア」というオリンポスの神だったのだ。知とはそんな安易なものではない!とは、そんな神の怒りによるシャウトなのである。