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[レポート]第四回知謝塾 伊東俊太郎氏『湯川秀樹の自然観』(2012/9/15)

[レポート]
第四回知謝塾
2012年9月15日 
於武田邸
SANY1773

[講師]
東京大学名誉教授・国際比較文明学会名誉会長
伊東 俊太郎 氏

今日,われわれは「大転換(The Great Transformation)」の只中にいる.
この大転換を的確にとらえるためには,いかなる歴史的メジャーが有効であろうか.5年や10年の短期スパンでは複雑系の混沌以外に何ら見えてこないとすれば,コンドラチェフの60年周期説,さらにルネサンス,宗教革命,大航海時代産業革命といった近代化のエポックをダイナミックに結ぶような観点も有意義であろう.では,こうした長期スパンで過去・現在・未来を見通す歴史的構想力を磨くには――.
科学史・科学哲学の大御所であり,比較文明学の泰斗として知られるプロフェッサーズ・プロフェッサー,伊東俊太郎博士の存在は,こうした混迷の時代にあっておのずと輝きを増し,今や文明の行く先を示す羅針盤として真の知を志す人々から熱く渇仰されるに至っている.
この度,知謝塾では,古き良き昭和アカデミアが生んだ最後の碩学・伊東博士を招き,真理探究への激しくも澄み切った情熱に学ぶ機会を得た.


湯川さんの創造性
湯川秀樹の自然観」という論文は,自分が東大から日文研に移った当時,「日本人の自然観」というテーマの一環で話した講演の内容をまとめたもので,もう20年くらい前のことだと思う.
自分は,なぜ,こういうことに興味を持ったかと言えば,それは創造性について追究してきた結果だった.科学的発見の構造について書いた論文もある.
日本におけるサイエンティフィッククリエイティビティとしては,まず1949年日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹さんを取り上げるのが自然であろう.
湯川さんの経歴はよくご存知なので割愛するが,中間子理論を提唱したのは1936年.それでは,1930年代とはどういう時代だったか.1932年に中性子が発見される.ケンブリッジでチャドウィックの実験装置を見たことがあるが,とても小さなもので偉大な発見をしたのに驚いた.今はヒッグス粒子が発見されたと言われる加速器をはじめ装置は大きくなる一方だ.ハイゼンベルク原子核理論を出す.ここで電気的にニュートラルな中性子とポジティブな陽子がなぜ結びつくのか.いわゆる核力の問題が浮上する.この問題に対してベータ崩壊を使った理論で説明しようとしたが,計算の結果は実際より非常に弱い.そこで湯川さんが登場することになる.
湯川さんは,ベータ崩壊のように電子やニュートリノが放出されるのではなく,中性子が陽子と未知の粒子に分かれ,その粒子が陽子に受け取られ中性子になる,と考えた.この間に力が働き,原子核をつくる結合力になると.この粒子の交換により中性子は陽子に,陽子は中性子に絶えず変化していく.この未知の粒子が中間子である.
この発見にはモデルがあった.ハイゼンベルクやパウリによる「場の量子論」だ.これによれば,「陽子と電子の間に電気力が働くのは,陽子から光量子が出て電子に吸収され,そして電子からまた光量子が出て陽子に吸収される,このキャッチボールにより力が働く」と電磁場の力(電気力)を説明した.湯川さんは,これと同じで今度は陽子と中性子の間に重量子=中間子のやりとりで核力を説明した.完全に場の量子論のアナロジーである.

アナロジーによる創造
新しい理論の創造はアナロジー,類推から生まれることが多い.三段論法的な演繹からは生まれない.論理では発見はできないわけだ.発見的思考法にはアナロジーが大切で,私は発想の「グノーモン構造Gnomonic Structure of Creation」を呼んでいる.中間子論で言うと,a=陽子と電子の間の力,a'=陽子と中性子の間の力,b=光量子(光子)のやりとり,b'=重量子(中間子)のやりとり.かねざしのような形をギリシアではグノーモンと云う.科学史的にみれば,ダーウィンの進化論,ドゥ・ブロイの波動力学はじめ,すべてと言っても良いほど科学的発見はこれなのだ.湯川さん自身は「同定Identification」と言った.構造の本質的同型性を見て取るという意味だ.
gnomon

検証の門扉を開く
電気力の場合,正負の荷電体を離すと徐々に力が弱くなるが,急に無くなることはない.しかし,陽子と中間子の間の核力は遥かに強い.しかし力の到達する距離は非常に短い.つまり原子核をつくる二つの粒子はある距離の間は強い力が働くが,ある距離以上離れると全然働かなくなる.この特別な性質を説明しなければならない.
ハイゼンベルクの不確定性理論を用いて計算することができる.それで中間子(重量子)の質量を計算すると,100MeV,電子の質量の約200倍になる.それくらいの質量の新しい粒子が見いだせれば,核力を説明できることになる.湯川さんはこの200倍という数字を頭の中で繰り返していたという.
ここが重要で独創的なことを発想しても詰めが不可欠で,定量的な確定により検証の門扉を開かなければ本当に発展性のある独創にはならない.ここが非常に重要.例えば,マルクスの理論は,反証は可能なのか.ああ言えばこう言うで何とでも言える.科学とは言えない.湯川さんはそこをしっかり独創的アイデア定量化した.
湯川さんが原子核の核力を媒介する新しい粒子は電子の200倍であるという,中間子の存在の理論予測の結果を得たのは1934年10月.湯川さん自身は室戸台風が去った後だと鮮明に記憶しているという.台風一過はやはり創造性にもいいらしい.11月に東大での学会で発表するが質問なし,反応なしだった.革新的なことはすぐに判らないものだ.しかし湯川さんには自信があった.翌年には中間子論の第一論文を世に出すことになる.
SANY1764


創造における明るい不安
2年後,ボーアが日本に来た.湯川さんはボーアに会って説明したが若造の戯言と一蹴した.ところがコペンハーゲンに帰る途中,宇宙線の中に陽子と電子の間の質量の粒子が米国で発見された.その粒子の質量を計算すると電子の100倍から250倍.ボーアはびっくりしただろう.湯川さんが言っていたのは本当だったと.
湯川さんは改めて宇宙線の中に発見されたこの粒子が中間子に違いないと発表した.すると,今度はオッペンハイマー,サーバーはじめ,世界中から賛成,支持の声が上がり,一躍湯川さんの名前は国際的に知られていくことになる.
湯川さんにとって1935年から1937年の間は宙ぶらりん状態で不安だったと思う.しばしば黙殺され不遇に甘んじた.しかし,不思議に気持ちは明るかったという.ここが重要で私は「創造における明るい不安」を呼ぶ.本当の創造は必ず不安を伴うものだ.向こうに新しい地平が見える予感,これが大事なのだ.
後に湯川さんが場の量子論のアナロジーから核力の媒介として推定した中間子は,宇宙線の中で見られた中間子(μ中間子)とは異なる中間子(π中間子)と判明した.宇宙線の粒子の観測データが精密になるにつれ,湯川さんの予測した中間子の性質と食い違いが明らかになる.例えば,粒子の崩壊時間が二ケタも異なる.これは無視できないと,1942年に坂田昌一さん,谷川安孝さんが二中間子論を発表.中間子を二つにμとπに分け,その後,観測的にも証明された.
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湯川さんの東洋的自然観
さてここから今日の話の核心,自然観の問題に入る.
なぜ湯川さんが世界に先駆けて,この核力の理論,中間子の理論を創り出し得たのか.ハイゼンベルクは先生であり先輩に当たる競争相手だが,なぜハイゼンベルクではなく湯川だったのか.この問題はほとんど論じられない.物理学者はこれを殆ど問題にしない.過去に牧二郎,伏見 康治,有馬朗人といった錚々たる先生方,物理学者とこの問題について議論した.あまり興味がない様子だったが,思想史的にはやはり重要な問題だと思う.
湯川さんの中間子理論は,ハイゼンベルクの場の量子論を核力の場にアナロジカルに適用したわけだが,ハイゼンベルクと湯川さんの間ではっきりと異なる点がある.場の量子論は,陽子と電子の間で光量子のやり取りがあり,電気力が生じる場合は交換されるが,陽子は陽子,電子は電子で実体の変化はない.一方,中間子理論の場合,陽子と中性子の間で中間子のやり取りがあり,核力が生じるが,その中間子の交換により陽子は中性子に変わり,中性子は陽子に変わる.たえず実体が交互に変化し,変幻極まりない千変万化の中で核力が働くとする.
ヨーロッパでは,デモクリトスの原子論以来,実在の根底には不変な「実体」があるとする考え方の伝統がある.ヨーロッパ建築物は石の積み重ねだが,バラバラになれば,不変な構成要素として個々の石になるように,世界は一定不変の実体から成立している.このような不変の究極の要素を求めて分子,原紙,電子・陽子,素粒子と単位は小さくなり,今はクオークに至っているが,それらは普遍の実体と考えられる.その一番基底にある実態が千変万化するとはヨーロッパ人はなかなか考え難いのではないか.
これに対して東洋の伝統は,世界の基底に不変の実体ではなく,一切が諸行無常の縁起によって生じると考える.空という仏教思想の土台だが,縁起とは一つの動的関係であり,不変の実体という概念を否定するもので,東洋の伝統には明示的でなくても,このような考え方が滲み込んでいる.東洋の伝統の中で育った湯川さんの中にこの考え方のモチーフが潜んでいたと想定することも可能ではないか.
私は生前,湯川さんに会ったことがあるが,聞いておけばよかった.そこまで考えてはいなかった,と答えるかもしれないが(笑),湯川さんが残した著書を見ると,それに類したことを云っている.
「20世紀になりますと原子論といってもデモクリトス流のアトミズムではなくなり,素粒子というものはできたり消えたりするものですね.これはむしろ“諸行無常”という言葉がピッタリとするものですね.・・・あるものがなくなり,あらわれたり,また姿を変えるということが自然のあり方ですね」(谷川徹三氏との対談より)
このような考え方を湯川さんが自覚的に用いたと云うつもりはないが,陽子が中間子に,中間子が陽子に絶えず変わることで核力が働くというのは実体の不変性に慣れたヨーロッパ人にはなかなか考え難いであろう.しかし,東洋的自然観の伝統にあった湯川さんは潜在意識かもしれないが,苦もなくそのハードルを乗り越えて中間子理論を打ち立てることができたのではないか.もちろん思想的背景だけで生まれたわけではなく,それまでの物理学の理論的工夫や追究を踏まえなければならないが,もっと深い部分で文化的・思想的問題も関わっているのではないか.
ハイゼンベルクは湯川さんの先生であり兄貴分であり影響を与えた先人で,原子核の核力の問題にも挑戦したが,1本の論文だけで撤退してしまう.その理由は不明だが,実体の不変性に慣れたヨーロッパ人の伝統的考え方というのがハードルになっていたのかもしれない.実際ハイゼンベルク自身,そのような意味合いの言葉を残している.
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西洋と東洋の知を融合する
今日の結論.今や素粒子の世界では,素粒子が千変万化し諸行無常だというのは物理学者の常識だが,以前は違って,世界の根底をなす粒子は不変だと考えられていた.このように変わった契機は湯川さんの中間子理論だった.核力の問題を解決した中間子理論だけでなく,そこから始まる素粒子論という領域を開拓し,その基本的パラダイムを作った.
創造には二つあり,一つは既存の領域で新たな事実や法則を発見し定式化することで,もう一つは新しい領域そのものを生み出すことだ.湯川さんはまぎれもなく後者だった.
真に創造的なものは借り物ではなく,自己の土壌に根差したものでなくてはならない.それでこそ本当に力のある創造となる.しかし,外から学び,吸収する事の妨げにはならない.それどころか排外的なことは創造的なことの対極だ.外のものを大いに学び取り,内なる伝統の中に溶かし込んで内にも外にもなかったものを新たに創り出す,というのが重要な課題であろう.
西洋の知識を貪欲に消化し,それを東洋で培われた伝統とユニークに融合統一することで,西洋の限界を超え,東洋の伝統を活かし,21世紀の人類に資するものを生み出すのが我々の責務であろう.その意味で湯川さんはその優れた模範と言えよう.


伊東 俊太郎氏 Profile
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1930年東京都生まれ.東京大学文学部哲学科,同大学院人文科学研究科博士課程,助手を経て1966年同大学教養学部助教授,1978年同教授.1989年国立国際日本文化研究センター教授,1991年東京大学名誉教授,1995年麗澤大学教授,比較文明研究センター所長,2006年同大学名誉教授.この間に米国ウィスコンシン大学助手,プリンストン高等研究所客員研究員,ウドロー・ウィルソン国際学術研究センター客員研究員,デンマークコペンハーゲン大学客員教授,英国ケンブリッジ大学クレアホール客員特別研究員,ドイツ・チュービンゲン客員教授,フランス国立社会科学高等研究院研究指導教授などを兼務.
日本記号学会会長,比較文明学会会長,国際比較文明学会会長,日本科学史学会会長,地球システム・倫理学会会長などを遍歴.『近代科学の源流』(中央公論社 1978年),『科学と現実』(中央公論社 1981年),『文明の誕生』(講談社学術文庫 1988年),『12世紀ルネサンス』(岩波書店 1993年)ほか著書多数.