[レポート]知謝塾×池袋コミカレ公開講座第一回(2013/10/19)

知謝塾と池袋コミュニティ・カレッジとの画期的なコラボレーションによる公開講座シリーズがスタートした。その記念すべき第一回、壇上に立ったのは知謝塾の武田英次塾長その人。『研究者、経営者としての経験から人生を考え直す――創造的な生活を送るためには』と題した講演は、まさに知謝塾がめざすものを指し示す内容であった。
IMG_2526
IMG_2529
IMG_2530


第三の知を求めて
冒頭、知謝塾の狙いとして掲げたテーマは『企業や大学では得られない「知」の獲得』。
企業や大学で得られない知とは。逆に企業や大学の知とは何だろうか。端的に言えば、オーソライズされた知、公認された知ということだ。公的資金が投入される産官学のループに入るようなエスタブシュメントの知と言えよう。
武田氏は、ここに市民の視点、すなわち「在野の知」を融合、加えることが求められているという。なぜかと言えば、3.11以降、社会に広がる専門知に対する不信の深さだ。社会的責任を放棄した専門家、技術的興味に心酔する専門家、欲望のままに「専門知」を操る専門家、権力に擦り寄る専門家。不信や疑いの目は、専門家の人格に向けられている。ここに専門知の限界がある。この問題を乗り越える鍵をかつて哲学者の故大森荘蔵氏は『専門知と日常知の「重ね画き」』と言った。何らかの学問や技術の専門知だけでもダメだし、かと言って薄く広い日常知だけでもダメ。要はその両者のインタラクションが重要なのだと。
そのための「場」が知謝塾であるとするならば、やはり専門家の教えを聞くだけでは足りないだろう。超一流の、本物の知の巨匠が自分の専門知から離れて、控えめに語る「日常知」、自身の人生についてのパーソナルな考えに学ぶ。ここに今回、知謝塾が池袋コミカレとのコラボで訴えるシリーズの主旨があるわけだ。

専門知から主観知へ
武田氏自身は、日立中央研究所に入り、半導体バイスの研究者として、その専門分野でいわば世界を取った人物である。日米半導体戦争と言われた1980年代はそのまま日立半導体の黄金時代でもあったが、その只中、半導体の寿命に関する公式を発見し、その研究業績により世界中の研究者・技術者から注目を集めた。そして、その後は研究マネジメントの道を進み、関連会社の社長や日立製作所常務を歴任した。そんな経歴の武田氏は、世間一般からしてみれば、まぎれもなく専門知の人であろう。
大企業の社長などが引退後、回想録などを書いて自分の経営哲学を披瀝することは少なくない。しかし、武田氏は過去の栄光や功績について成功の秘訣やノスタルジーを語っているのではない。
研究者として脚光を浴び、経営者として巨大組織を率いた過去を捨て去り、たった一人の等身大の人間としてみずからの人生と向かい合った時、社会や時代をどう捉えるか、自分自身の人生や生き方にどういう意味を持つのか。また自分がこれからどんな生き方や行動ができるのか。
そういうリアルタイムな生の問題意識が、過去からのロードマップ思考の中でたどった思索の足跡。いわば一つの客観知を極めた人が新たに始めた主観知の試み、それが講演の大半を占めた。

知は進化しているのか
講演テーマは、第一が「多様性」、第二が「大転換期」、第三が「知の変遷」、第四が「人づくり」、第五が「心」だ。
いずれも世間一般から見れば、今風のテーマ、トピックであると言えるかもしれない。それらに先立って引用されたのが次のピタゴラスの言葉。
「・・・ある者は富への愛によって動かされ、ある者は権力と支配を欲する情熱に盲目的に引きずられます。しかし、最も優れた人間は、人生の意味と目的とを見出すことに専心するのです。自然の神秘のヴェールを剥ごうと努力するのです。これこそ私が、知恵を愛する人と呼ぶ人間です。・・・知恵を愛する人は、自然の神秘への鍵としての「知」を愛することができるからです。」
2500年以上も前から人間は変わっていない。科学技術がこれほど進歩、発展した今でも世界中の人間はカネ、地位、名誉という、幻想のような目先の煩悩に翻弄されて人生を過ごしているのではないかと、武田氏は激しく問題提起し、講演の本題に入った。

創造性の源泉としての多様性
まずは「多様性」である。効率化や利便性、合理性などを追求してきた近代理性主義の時代、多様性は否定されてきた。それより普遍性や汎用性、画一性などが優先されてきた。ところが創造的であろうとすると、むしろ多様性という土壌が必要であり、カオスとまで言わぬまでも雑然たる多種多様な状態の方が良いということになってきた。
マイノリティ、ロングテイル、フォールト・トレランス、リスクテイク、ギャップイヤー、長期的視点、持続可能な生き方、平均的思考の限界などなど、創造性やイノベーションの源泉として、多様性を重視するための最近の流行語やキーワードはたくさん思いつく。
例えば、マイノリティというのは「少数派」という事実を指し示すだけではなく、実はそこにマジョリティも含む普遍的な問題点が凝縮されており、新たな価値創造に向けたイノベーションのヒントが隠されていると考えるのが割とノーマルになってきた。例えば、IBMの浅川智恵子フェローは「イノベーションの源泉・触媒としての障害者」ということを言い出している。
これらのトレンドはビジネスの領域でも見られる話で、アマゾンのロングテイルやグーグルの20%ルール、あえて想定外の事態を検討するリスクテイクなど、同じ方向性を指し示す事例にも事欠かない。
これら多様性を支持するトレンドに共通するのは、すなわち従来の二項対立的な考え方から弁証法的な止揚をめざすベクトルでもあろう。

大転換の時代、そして知の変遷
次が「大転換期」。これはカール・ポラニーの名著のタイトルだが、世界はいよいよその様相を呈してきた、と言っても、誰も異論はあるまい。
グロバリゼーション、IT革命に替わるエネルギー革命、スマートグリッドクラウドコンピューティング3Dプリンター、産業構造やビジネスモデルのパラダイム転換、新興国の台頭、リバースイノベーション、ソーシャルビジネス等と、ビジネスを取り巻く価値観は大きく変わってきている。20世紀型の発想や論理だけではこういう時代の大転換に対応することはできない。
そのための「知」はどう変遷してきているか。
特に日本では、文系の知と理系の知と、シンプルに分けてきたが、いよいよその限界が見えてきた。今、切実に求められる知とはその両者を行き来するような「関連性知」であろう。自然界の原理・原則を追求してきたのが従来の理系知、客観知だが、それだけでなく、複雑系の人間・社会の膨大なデータに「エレガントな秩序」を見いだしつつ、みずから築きゆく主観知が21世紀に求められる関連性知というものではないか。ビッグデータというITビジネスの新しいトレンドもそのことを裏付けている。ここでは従来のような数値化可能な単一的直接的価値観だけでは通用しない。もちろん、それに伴い、組織のマネジメントも大きく変わるはずだ。右肩上がり成長の時代は形式や組織を改革することで問題解決が得られたが、今日は中身が問われる。テーマ設定が重要だ。リーダーには中味、創造性をみずから考え、組織を統率することが求められる。
こうした「知」の変化で日本、日本企業は大きく後れを取ってしまった。お家芸の「モノづくり」もそれだけに拘るのではなく、「モノづくり知」まで昇華、発展させなければ世界には通用しない。このことに気付くのが余りに遅かった。
今やグローバルな人材ビッグバンの到来が叫ばれているが、では今後、求められる「人材」とは。そして「人材育成」とは。従来のような単一価値観での採用や評価ではない。人材も多様化する。ここで重要なのは文理融合の視点であり、リベラルアーツ(一般教養)の蓄積なのだが、ご承知の通り今の教育システムは非常に深刻な問題を抱えている。

「心の時代」が到来、「見えないもの」を見ようとする努力を
これらの問題を考えると、機械論的世界観から生命論的世界観への転換という、より本質的なテーマに至る。20世紀の科学技術が依拠してきた基本的な世界観である近代理性主義。ここに「人間が自然を支配する」という傲慢な考え方があり、表向きの建前では理性を尊重しながらも、本音では欲望を肯定し、その結果、経済効率至上主義という単一的思想、Oneの世界をもたらした。技術者、政治家、経済人の多くは何ら疑いなく、このOneの世界を生きてきたが、岡本太郎のような芸術家はOneの世界の欠陥を鋭く見抜いていた。うまくやろう症候群、事なかれ主義の蔓延、内向き思考、「調整型」人間だけの組織、創造性なきマネジメント、拝金主義など、今日の社会、今日の企業の問題のほとんどはここに起因しているのではないか。
これらの問題を克服していくには、やはり原点、本質に立ち返る必要があるだろう。先ほどの時代の変化は見方を変えれば、『「モノ」財→「知」財→「心」財へ』という価値観の変化でもある。人生の意味をもう一度、考え直し、使命、人間力、謙虚、利他の心などのキーワードが注目されている。万事、心が問われる時代なのだ。
近年、Dark Matterや Dark Energyが話題になったが、見えないが確実に存在する知、Dark Knowledgeがあるのではないか。世界の本質、人生の本質とは常にこのDark Knowledge、見えないものの中にある。この見えないものを既知のもの、見えるものから見ようとする努力が研究でも経営でも必要ではないか。マイノリティや多様性も、まさにこの見えないものを見る為に有効な手立てなのかもしれない。
そう考えると、人生のとらえ方も変わってくるはずである。災難や挫折を、自分の使命に気付く機会として受け容れることができる。教育者の故森信三氏は「失敗を成功以上に生かす人間こそ、真に畏るべき人間である」と言ったが、至言と思う。
既に「何をしたか(Doing)」「何を持っている(Having)」から「どう生きたか(Being)」が問われる時代に入っている。知謝塾も一人でも多くの人がこのことに気付き、考える場になればと思っている。