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研究の自殺

最近気になる論文を目にした。筆者が会社に入社した1975年に文藝春秋2月号に掲載された『日本の自殺』というかなりセンセーショナルな小論文である(著者はグループ一九八四年)。

要旨は「有史以来、多くの文明において、国民が利己的な欲求に没頭し、難局をみずからの力で解決することを放棄するようになり、しかも指導者たちが大衆迎合主義に走った時、国家が自殺する」と。37年前に書かれたとは思えないほど現在の某国にも当てはまることが多いのはなぜであろうか。文明や国が滅びる時には同じような傾向を示すのだろう。

このことは企業や研究にも当てはまる。研究者の精神構造においても、研究者の使命である新しい技術の創造を忘れ、安易に、問題設定よりは問題解決に没頭し、さらに、研究費獲得に血道をあげることを研究の最優先課題だと勘違いし、指導者も安っぽい組織の論理を振りかざし、未来に対する成長性という長期的視野を放棄する時、「研究の自殺」が待っていると言い換えても過言ではない。

初回の西垣氏の「情報哲学的思考」を基礎にした「機械の人間化」の問題、第二回目の神原氏が指摘する研究者の持つべき「気高い欲望」にしても、現代社会に蔓延している拝金主義や株主至上主義を背景にした「哲学無き研究者」に対する警鐘ではないだろうか。

巷間の風潮として、「上手くやろう症候群」や「事なかれ主義」が蔓延している。この系譜からは「自分さえ良ければいい」とか、「国富論」はおろか、「僕富論」が闊歩するようになる。こうなると一番重要である国民や顧客にとっての「価値創造」が行われず、せいぜい現状維持の内向き志向に陥るのが関の山である。

リーマン・ショック原発の「原子力村」の問題、今回のオリンパスの問題にしても、すべて「基本と正道」の規範に照らし合わせることなく、ただ、「上手くやろう症候群」のなせる結果である。上手くやり、発覚しなければいいという考え方からは新しい価値観は絶対に生まれない。

「上手くやろう症候群」の通底には「長いものに巻かれる」、「KY」、「臭いものに蓋」といった精神構造が見え隠れする。これは決して「マネージメント」ではない。 
しかし、人間というものは理屈では分かっていても、いざという時には利己的になり、保身に走る本性がある。 最近注目されているリフレクティブ・マネージメントは、「上手くやろうマネージメント」ではない。正反対の概念である。成功や失敗の結果を深く洞察し、特に失敗の現実に対しては、真摯に反省をしなければならない。この反省(Reflection)と洞察がマネージメント・サイクルを廻し、新しい価値を創造するのである。

「価値観」が大きく変わる21世紀においては、技術的革新だけでなく、哲学を含めた精神的革命が世の中を変革していくだろう。そのためには、今まで以上に、 研究者の「人間性」が問われることになる。この「人格の陶冶」こそ、「知謝塾」の使命ではないだろうか。

2012年6月
武田 英次