知謝

知謝塾の「知謝」とは、「知」に感謝するという意味である。
歴史に残る「知の巨人」達の業績も、アイザック・ニュートンの言葉:「私がさらに遠くを見ることができたとしたら、それはたんに、私が巨人の肩に乗っていたからです」 (If I have been able to see further, it was only because I stood on the shoulders of giants.)が示唆するように、過去の多くの研究蓄積の上に成り立っているということである。
今は、「集合知」の上に何を創造できるかが問われている。また、この言葉には「謙虚」さが感じられる。謙虚さは人間に少し未来を見せてくれる。
「知」も変遷している。20世紀の科学技術を作り上げた物理学を始めとした「原理・原則知」から、IT技術を駆使したグーグルを始めとした「ネットワーク型知」の重要性が増している。ここから人-情報-モノの「関連性知」を利用したビジネスモデルが多く生まれてくるだろう。また、新興国の台頭は先進国のイノベーションモデルではない、新興国の「リバース・イノベーション」の重要性を暗示している。まさに「地域知」理解の必要性である。従来型の「知」だけに固執していては新しい時代は切り拓けない。古典や過去の経験知を尊重しながら、その現代的意味を新しい視座や多角的視点で見直す必要がある。
「情報爆発」の時代には、当然、ビッグデータを扱う必要があり、「データベースエンジン時代」といわれている。最先端のIT技術により今まで見えなかった「価値のしずく」が絞り出せる可能性がある。ロングテール現象もその一つである。マイノリティそのものに価値がある時代に変わってきている。一方、政治的にもSNSを始めとした「集合知」が「アラブの春」のような革命をもたらしている。
「多様性」、「新興国」、「マイノリティ」と時代のキーワーズや「価値観」が大きく変わろうとしているとき、我々はどう対処したらいいのであろうか。
とかく日本人は、今まで他人が提示した土俵で考えることに慣れてきた。 世の中が猛烈な勢いで変化している時代には、今度こそ、欧米のお仕着せの「価値観」ではなく、日本独自の「価値観」に基づく「知」を獲得する必要がある。そこから、技術の飽和、成長の限界、人材の下流化等の日本が抱えている課題は、克服されていくと思う。 
時代の激流に翻弄されてはいけない。
世界に通用する独自の価値観の確立こそ、今、最も求められている。産業革命ルネッサンスを成し遂げた近代合理主義哲学の延長線ではない、むしろ、日本の古代から我々の精神の中にすり込まれた「自然との共生」や「山川草木悉皆成仏」の価値観の中に、21世紀の「文理融合」から生まれる新しいフロンティアが見えてくるのではなかろうか。 
「知謝塾」に意味があるとすれば、それを探究する「場」の提供であると思う。


武田 英次
IMG_1693

2012年4月