平凡なる非凡

「平凡なる非凡」という言葉がある。
波乱万丈な人生よりは平凡な人生が素晴らしい。
しかし、この平凡な人生を生きるのが難しい、という意味であろう。
若い時には味わえない考え方である。

若い時は青雲の志を持って、前へ前へと進み、立ちはだかる敵を打ち砕いた織田信長的生き方に憧れる。
人を押しのけ、嫉妬し、妬み、その気持ちをエネルギーに変え、それでも前へ進むことに憧れを持つ。
失敗しても、挫折しても、結果はともかく、前に進む生き方に価値を見出す。
見えているのは自分のみである。
作家の藤沢周平も「普通が一番」という言葉を残している。
何故「平凡」がいいのだろう。

時には挫折し喪失感を味わい、鬱状態になり立ち直れない時期もあるだろう。
この精神状態を味わった後に、「人生は自分が思う通りにならないものだな~」と初めて自分の存在の意味を意識する。
何のための人生だったのだろう?
人を蹴落とし、偉くなったことに何の意味があるのだろうか。
蹴落とされた相手の気持ちが分からないのか!
偉くなった自分の姿を見て、周りの人たちは自分を称賛しているのだろうか……。
普通の人なら一度は誰でも抱く気持ちである。
社会的地位を上げることに価値を見出し、何に成った、何か特別の持っていることに価値を見出そうとする。
他人と比較することによってのみ、自分の存在意義を感じる生き方である。
「世俗的成功」を唯一無二の価値観とする生き方である。
これを実現するために、人よりも数倍努力し、危ない橋も渡り、時には嘘もつき人も騙し、とにかく一直線に進んできたことだろう。
その努力、そのエネルギーには敬意すら感じる。

しかし、人生は単純ではない。
自分の人生の一時的成功と引き換えに家族等に問題が起こる。
また、自分自身、病気になったりもする。その時、「平凡が一番素晴らしい」という思いが湧いてくる。
人生はプラスマイナスゼロ。
禍福は糾える縄の如し、といった箴言が胸をよぎる。
世俗的成功だけを夢見た自分の幼さ。
他人の目を通してしか自分の価値を測れなかった未熟さ。
一方、何気ない自然の振る舞い、風に揺れる野辺の草、虫の鳴き声にも大自然の摂理の素晴らしさを感じる。
一途に「外的成功」を追い求めた自分自身に疑問を感じるようになる。
そこから多様性の素晴らしさが身に沁みてくる。
人それぞれに価値がある存在だと。
一つの価値観だけに固執した自分が恥ずかしくなる。
他人の人生を尊重し、利他の精神の重要性に気付き、自分の「内的成長」を感じる時に、初めて、平凡な人生の内側から湧いてくる精神的安らぎを堪能できるようになる。
外的成功は人生の表の顔で、内的成長は裏の顔かもしれない。
外的成功の虚しさを味わった後に内的成長の重要性に気付くといってもよい。
人間の精神的成長には両者が必要なのだろう。
しかし、若い時から「平凡な人生」の意味を意識すると人生が豊かになるかもしれない。
「勝った、負けた」、「もっと、もっと」の経済成長至上主義もそろそろ限界に達している。
かっこよく見える波乱万丈の人生の空しさ。
一見単調に見える「平凡な人生」の豊饒さ。
この視点から新しい人生の価値観が見えてくるのではないだろうか。