A Blessing in Disguise (仮装した祝福)

 「a blessing in disguise(仮装した祝福)」という言葉がある。

意味は“一見不幸な出来事も仮装しているだけで、実は天の祝福、恩恵なのである”ということらしい。

別の言葉でいうと、“どんな逆境に遭っても決して天を怨まず人を咎めず、自らを信じて心穏やかに道を楽しむ「これは天命だ」と受け入れる。そうすると、霧が晴れわたるように視界が開け、天から梯子が下りてきて思いもよらない幸運に恵まれる”らしい(渡部昇一)。

人生にとって最も大事な「自分の使命を果たす」ためには払った代償が多ければ多いほど経験は貴重なものとなるということか。

ここには絶大なる天(=神)に対する信頼がある。

 

最近、山口栄一京大教授(5月6日に知謝塾で講演していただいた)の著書『死ぬまでに学びたい5つの物理学』を読んだ。

新しい物理学を切り拓いた数式の説明のよりも物理学の巨人の人生や人間性に焦点を当てている名著である。

それにつけてもこの中に取り上げられている巨人たちは必ず逆境や挫折を経験している。

科学の神秘のベールを持ち上げた栄光の影には逆境や苦悩が寄り添っているように見える。

母親に捨てられたニュートン、自殺したボルツマン、息子をナチスに殺されたプランクユダヤ人としてドイツを追われたアインシュタイン……。 

 

源氏物語』のモデルである藤原道長も「望月の欠けたることがない」といわれた前半生も、後半生は道長自身も病魔におかされ、三男、顕信や入内した子女も次々に死去するという不幸に襲われる。

人生とは栄光と挫折が織りなすドラマであろうか。物質とは粒子と波の両方の性質を持つことを発見したのはドゥ・ブロイであり、量子力学の常識になっている。

しかも、F(波としての周波数)=c/h・P(粒子としての運動量)という式で関係づけられる。

人生も栄光と苦悩という両方の性質を持っているのであろう。

栄光が大きければ大きいほど苦悩も大きい。

心の持ち方によって苦悩も天の恩恵になる。

「山高ければ谷深し」、「禍福は糾える縄の如し」、「艱難辛苦、汝を玉とする」とか、多くの箴言が浮かんでくる。

しかし、まだ人類が手にしたことのない「人生の方程式」はもっと深い意味を暗示しているように思われるのだが。

 

“「学歴」、「職歴」よりも「苦歴」”という言葉が最近、耳に入るようになってきた。

履歴書には学歴、職歴が必要であるが、書くに書けない苦歴が本当は大切であるということだ。

苦歴こそがその人だけのものであり、その人を語るもっとも雄弁なものとなる。

日本ではまだ、転職が良く思われてないが、米国では既に貴重な経験として失敗、挫折さえも苦歴として尊重されている。

苦を乗り越えた経験が業績(=宝)として輝くのである。その意味でも挫折は「天の恩恵」といえるだろう。

 

「正の10を10個足すと100になる。負の10同士を掛けても100になる。答えは同じでも正を積み重ねた100には陰翳がない」といったのは歌人、故塚本邦雄である。

陰翳はその人間の「深み」や「徳」につながる。 

挫折を経験した人は他人に対して優しさや思いやりを持つことができる。 

そうすると「自分の本当の使命」が見えてくる。

有名になりたいと欲する熱病と闘い、欲求を満たすことを人生の目的することを止め、「簡素な精神」(シャルル・ヴァグネル)に戻ることが必要になってくる。

栄光だけを必要以上に求める態度からは人生のバランスが壊れていく。

現代はあまりに正ばかりを追い求めて「もっと、もっと」の精神に染まっていないだろうか。

栄光と苦悩についての関係についてさらに思考を深めたいと思う。