科学者の魂に触れる

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次回の知謝塾にお招きする山口栄一先生の最新著は、今年の2月発行された『物理学者の墓を訪ねるーひらめきの秘密を求めて』というエッセー風偉人伝だが、ご本人いわく、昨年暮れに出た『イノベーションはなぜ途絶えたのかー科学立国日本の危機』と表裏一体の関係にあるそうだ。一見したところ、この二つの著書は対照的にも思えるが、なるほど、ご本人がそう強調するように同じ精神の両極に違いない。意表を突いて何とも意味深なことをおっしゃる先生である。

 

文系人間にしてみれば、「科学」とは、できることなら一生、近寄らずに生きていたい異境である。しかし、科学史を彩る巨人の生涯と業績を入門風に解説する意匠として、のっけから墓を持ってくるところには心憎い「知の成熟」を感じる。

 

「科学者スーパースター列伝」ともいうべき本書の結論部分で、「科学者の魂に触れる」と題して書かれた一節のみを、ここではあえて紹介したい。

 

久保(亮五)は湯川(秀樹)と朝永(振一郎)に触発されて未知の世界に入ることの重要性を知り、独力で非均衡統計力学の基礎を創った。久保の存在によって東大の物性物理学は世界のトップに躍り出たといえる。そこから巣立った研究者たちが、やがて半導体物理学の基礎を築き、日本の半導体技術が進展していくことになる。

1980年代、「材料」という物質の世界で日本は世界のフロントランナーとなった。その結果、パラダイム破壊型技術にほかならぬ高電子移動度トランジスター(HEMT)や青色LEDなどをゼロから発明し、その成果をイノベーションに結実させた。

日本の物理学と技術イノベーションをそこまで進展されたのは何だったのだろうか。

朝永は言っている。「『好奇心』は、少なくとも科学という、人間精神の重要な営みに対して、ひとつの大きな原動力となっている」(『好奇心について』)。これを湯川は、「自分の内側にわざわざ達成できないような理想を温存しているということですね。理想と現実の矛盾を生きる糧にしている」(『私の生きがい論』)という言い方で表現している。

すなわち科学と技術イノベーションを推し進める原動力は「その謎を解きたい」「誰もできないと思っていることをできるようにしてみたい」と考える、真理を追い求める取り組みなのである。

その技術イノベーションの仕組みは、日本では1950年代に大企業の中央研究所というかたちで表れた。1980年代、企業の旺盛な研究意欲は基礎研究の裾野を科学の方に広げることを許す。その結果、多くの技術イノベーションが日本から生まれた。1990年代前半までに日本の企業研究所は世界でもまれに見るイノベーションのエンジンとなったのである。

なぜそれができたのか。それは、日本企業の中央研究所の科学者たちがそれぞれの分野でパラダイム破壊を起こせるトップリーダーに、確かになったからであった

ところが、1990年代後半に、日本の技術系大企業は科学の本質を理解することなく、中央研究所を次々と閉鎖・縮小する。それは科学者たちを内側から動かしてきた真理追求への情熱を抜き去り、日本のイノベーション・システムを滅ぼすことを意味した。実際、かつて世界をリードしてきた日本のエレクトロニクス産業は、パラダイム破壊型イノベーションを起こせなくなって、今や見る影もなく凋落した。

かつては世界をリードした日本の科学とテクノロジー。その未来は危機に直面する「科学者の魂」を再興できるかどうかにかかっている。

 

文字打ちしながら、図らずも興奮してしまった。それほど入魂の一節、これこそ、『イノベーションはなぜ途絶えたのかー科学立国日本の危機』で山口先生が訴えていた本質に他ならない。

とかく批判的文脈で安易に語られる日の丸半導体の興亡史だが、長岡半太郎仁科芳雄から始まる近代日本の科学者の系譜を視野に入れなければ、決して理解できないことを痛感させられる。

少なくともこの一節で説かれた「歴史認識」だけはシェアしておきたいものである。